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宇都宮地方裁判所 昭和48年(ワ)7号 判決 1976年5月12日

原告

矢板義秀

ほか一名

被告

吉田友一

主文

被告吉田友一は、原告矢板義秀に対し金一四三万円及びこれに対する昭和四八年一月二四日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告矢板義秀のその余の請求並びに原告矢板輪業有限会社の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用中、原告矢板義秀と被告吉田友一との間に生じたものはこれを五分し、その三を同原告の、その余を同被告の負担とし、原告矢板義秀と被告鈴木正義及び原告矢板輪業有限会社と被告らとの間に生じた費用は原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは、連帯して原告矢板義秀に対し、金四〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一月二四日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告らは、連帯して原告矢板輪業有限会社に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一月二五日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担。

仮執行宣告。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 発生時 昭和四五年一月一九日午後三時四〇分ころ

(二) 発生地 宇都宮市簗瀬町一五三三番地先国道四号線上

(三) 加害車 大型貨物自動車(福島一く三三四一号。以下本件加害車という。)

運転者 被告吉田友一

(四) 被害車 普通乗用自動車(栃5ぬ二九六八号。以下本件被害車という。)

運転者 原告矢板義秀

(五) 事故態様

原告矢板義秀運転の本件被害車が、本件事故現場において、白河方面に向つて信号待ちのため停車中、被告吉田友一運転の本件加害車が先行車たる訴外守谷武士運転の普通貨物自動車(栃一は三四〇〇号。以下守谷車という。)に追突し、その衝撃により同守谷車を前方に押し出して被害車に追突した。その結果原告矢板義秀は負傷した。

(六) 傷害の結果

原告矢板義秀は、左記治療期間を要する頸椎挫傷の傷害を受けた。

<省略>

2  責任原因

(一) 被告吉田友一の責任

被告吉田友一は、本件加害車を運転中前方注視義務を怠り、先行車たる本件被害車が信号待ちしているにもかかわらず、漫然同一速度で進行したためこれに追突し、本件事故を発生せしめたものであるから、同被告は民法第七〇九条に基づき原告らが本件事故によつて被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告鈴木正義の責任

被告鈴木正義は、本件加害車の保有者であつて、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法第三条により原告らが本件事故によつて被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 原告矢板義秀の損害

(1) 慰藉料

原告矢板義秀は、本件事故により前記のとおり長期間にわたつて入院治療等を継続し、その間多大の肉体的精神的苦痛を被つた。

よつて、右精神的苦痛を慰藉するためには金二〇〇万円をもつてするのが相当である。

(2) 逸失利益

原告矢板義秀は、自動車修理業を営む原告矢板輪業有限会社の代表者であり、かつその営業に不可欠な検査主任者である。

原告会社は、本件事故当時、検査主任者である原告矢板義秀、その妻訴外矢板イヱ及びその長男訴外矢板秀一の三名で営業してきたところ、本件受傷により原告は全く就労し得なくなり第三者を雇用して営業を続けてきたが、検査主任者である原告矢板義秀を欠いたため営業を継続することができなくなり、昭和四八年一月七日右会社を解散するの已むなきに至つた。

そして、右解散のため、原告矢板義秀は、原告会社から得ていた月給金七万五、〇〇〇円を昭和四八年一月から失うことになつた。

よつて、右五年間分に相当する金四五〇万円(年間金九〇万円)から複式ホフマン方式による年五分の割合による中間利息を控除すると、その原価は金三九二万七、八七〇円である。

(二) 原告会社の損害

前述のように、原告会社は、親子三人で運営してきた自動車修理業を目的とする会社であるところ、原告矢板義秀が本件受傷により全く就労することが不可能であつたため、第三者を雇入れ同人らに合計金一八〇万円の賃金を支払つたが、本件事故がなければ右賃金は支払う必要のなかつたものである。

4  内金受領等

被告吉田友一は、原告矢板義秀に対し金五万円あて三回合計金一五万円を送金支払つているので、これを前記逸失利益の内金に充当する。

5  結論

被告らに対し連帯して、原告矢板義秀は前記慰藉料金二〇〇万円及び逸失利益の残金三八二万七、八七〇円の合計金五八二万七、八七〇円の内金四〇〇万円、原告会社は前記損害金の内金一〇〇万円及びこれに対する各訴状送達の翌日より支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実中(一)ないし(五)の事実は認める。(六)の事実は不知。

2  同第2項の(一)の事実は認める。(二)の事実中被告鈴木が本件加害車の保有者であることは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同第3項の事実は不知。

4  同第4項の事実は認める。

5  同第5項は争う。

三  被告の主張

1  原告矢板義秀は昭和四四年一一月二九日追突事故により受傷し塩谷病院に通院していたが、昭和四五年一月一二日両手がしびれるなど症状が悪化し、往診治療を受けるほどの状態にあつたものであつて、本件事故当時すでに相当悪性のむち打症状にあつたものである。

2  しかるに、本件事故は本件加害車が訴外守谷武士運転の自動車に追突し、右守谷車が押し出されて被害車に追突したいわゆる玉突衝突であるが、直接の被害者である訴外守谷武士はこれにより格別の身体的症状を生じていないところからみても、軽度の玉突事故であつたことが明らかである。

3  しかるに、原告矢板義秀は、本件事故後頸椎捻挫の症状があり、昭和四五年六月まで上野、烏山台病院等に通院しているが、その日数は一八日に過ぎず、その後一年間治療を受けていないところからみると、本件事故と原告矢板義秀の右症状の間に相当因果関係があるものとは認め難く、右症状は昭和四四年一一月二九日の事故と同原告の異常体質ないし異常性格が競合して生じているものと推測される。

仮に、本件事故との間に因果関係があると認められるとしても、右関係は事故後昭和四五年六月二日までの症状について認めるべきである。

しかも、前記のとおり昭和四四年一月二九日の事故及び同原告の異常体質を考慮すると損害額の算定にあたつては極めて軽度の割合的認定がなされるべきである。

4  原告矢板義秀は被告吉田友一から金一五万円の支払を受けたほか自賠責後遺症等級一四級の認定を受け該保険から金一九万円の補償を受領している。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張事実中第4項の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故の発生

請求原因第1項(一)ないし(五)の事実は当事者間に争いがなく、同項(六)の事実は、成立に争いのない甲第一〇号証、第一一号証、第八五号証、原本の存在及び成立に争いのない第八六号証、証人矢板イエの証言及び原告矢板義秀本人尋問の結果並びにこれにより成立の認められる甲第一二号証ないし第一七号証によりこれを認める。

二  責任原因

1  被告吉田友一について

請求原因第2項(一)の事実は当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告吉田友一は民法第七〇九条により本件事故によつて原告矢板義秀の被つた後記損害を賠償する責任がある。

2  被告鈴木正義について

被告吉田友一、同鈴木正義各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件加害車は被告鈴木正義名義をもつて登録されているけれども、その実質的所有者は被告吉田友一である。

すなわち、被告鈴木正義は石川運送なる商号をもつて貨物運送業を営んでいるものであるが、その被用者であつた被告吉田友一が昭和四四年ころ独立するに際し、その営業許可を受けることが容易でないため被告鈴木正義の営業許可を利用し、自動車は右鈴木正義名義をもつて購入し、石川運送なる名称を使用して貨物運送を営むこととした。

しかし、本件加害車の購入契約はもとより、代金の支払、保険料その他ガソリン等の経費、自動車税、トラツク協会会費などの支払はすべて被告吉田友一が負担し、被告鈴木正義に対し経済的負担を一切かけていないこと。

また、被告吉田友一の営業所、その営業活動範囲も独立しており、本件加害車の運行及び管理は被告吉田友一に専属し、被告鈴木正義は無償で名義を貸与したに過ぎず、本件加害車の運行によつて何らの利益をも受けていないことが認められる。

(二)  右事実によれば、被告鈴木正義は本件加害車の運行に関し何らの支配関係を有せず、その運行による利益を受けているものと認め難いところである。

よつて、同被告は、本件事故によつて、原告矢板義秀らが被つた損害につき賠償の責任を負わないものというべきである。

三  原告矢板義秀の損害

1  慰藉料について

(一)  成立に争いのない甲第四号証ないし第九号証によれば、本件事故現場において信号待ちのため訴外吉沢文男運転の普通乗用自動車が停車したため、その後方に原告矢板義秀運転の本件被害車が停車し、更にその後方より追走していた訴外守谷車が停車した。

しかるに、右守谷車の後方を追走していた被告吉田友一運転の本件加害車は時速約四〇キロメートルの速度で車間距離を僅に一〇メートル位保つていたに過ぎなかつたため先行車の停車に即応し切れず、殆んど同一速度で右守谷車に追突した。

その結果、右守谷車が約三メートル押し出されて本件被害車に追突し、被害車は約五メートル押し出されて前記吉沢車に追突した。

そして、本件被害車は後部ボテー及び前部バンバー部分を凹損し、右側前部の霧よけ灯を破損し修理費約五万円を要する破損を生じた。

右事実によれば、本件事故による衝撃は決して軽微なものであつたと速断することはできないところである。

(二)  原告矢板義秀の治療の経過

前記成立の認められる甲第一〇号証ないし第一六号証、第八五号証、第八六号証並びに証人加納清の証言及び原告矢板義秀本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

原告矢板義秀は、本件事故直後医療法人十全会上野病院において頸部捻挫の診断を受け、昭和四五年三月二八日までの間同病院に通院(実日数六九日)し、更に同年五月八日より同年六月二日までの間、医療法人薫会烏山台病院に通院(実日数七日)を継続したが、同原告は右通院期間中においても自動車、オートバイの修理業務を休業することなく稼働していたこと、しかるに、頭重、上腕のしびれ、健忘症等の症状が漸次悪化するため、翌昭和四六年六月二四日より済生会宇都宮病院に入院し、同年八月一一日までの間、牽引等の治療を受け、引続き同月一二日より同年一二月二五日まで同病院に通院(実日数五日)し、自賠法施行令別表第一四級八号に該当する後遺障害の認定を受けたこと、しかして、右通院期間中においても前同様修理業を営んでいたが、左手のしびれ、両肩が張る、頸部の後側が痛い、掴力が弱い等の症状があるため、近所の塩谷医院において同年一一月四日より同年一二月六日までの間通院(実日数六日)治療を受け、翌昭和四七年四月三日より同年一〇月二三日までの間は大宮市の加納医院に通院して牽引治療(実日数五九日)を受け、そのころ近所の阿久津医院にも三日間通院したりしていたが、同月二八日より昭和四八年六月七日まで右阿久津医院に入院し、退院後も同年一二月二二日まで治療を継続した。

(三)  ところで、証人塩谷道夫の証言及び原告矢板義秀本人尋問の結果によれば、原告矢板義秀は、本件事故の前である昭和四四年一一月二九日自動車のブレーキテスト中後方より進行してきた自動車に追突され、(以下第一事故という。)これにより頸部捻挫の傷害を受け、そのころ医師塩谷道夫の診断治療を受けたが、その後も、両手にしびれ感、小指の知覚鈍麻等身体の具合が悪いため昭和四五年一月一二日同医師の往診を求めていることが認められる。

(四)  しかして、前記成立の認められる甲第一四号証、証人塩谷道夫、同加納清の各証言によれば、原告矢板義秀の前記入院期間中における症状は首すじの痛み、頭重、手のしびれ感、食欲不振、勤労意欲の減退等であるが、同原告は当時アルコール中毒及び酒乱の性癖のだめ家庭内のトラブルが絶えずこれら家庭不和に基因する不定愁訴も多く、同原告の右症状がすべて本件事故による神経症状とは断定し難く、右心因的要素も無視し得ないこと。また、同原告には頸椎挫傷の他覚的所見が認められるところであるが、他方老化現象による変形性頸椎症も認められ、同原告の前記不定愁訴がいずれに基因するか断定し難いところである。

(五)  以上認定の事実によれば、原告矢板義秀は本件事故当時すでに第一事故により頸部捻挫の傷害を受けていたものであるから、同原告の前記症状は本件事故による受傷と競合して生じているものと推認されるところである。

しかのみならず、同原告の前記心因的要素及び老化現象による体質的要素も右症状と無関係なものと断ずることはできない。

そうすると、公平の観念に照らし本件事故によつて原告矢板義秀が被つた受傷による寄与率を勘案し、その寄与の割合限度内において損害を負担すべく、前記認定の事実を総合すると、その割合は六割程度と認めるのが相当である。

(六)  よつて、原告矢板義秀が本件事故によつて被つた傷害の程度、入・通院期間及びその日数、前記寄与率等を考慮し、同原告の被つた精神的苦痛を慰藉するには金一五〇万円をもつてするのが相当であると認める。

2  逸失利益について

成立に争いのない甲第一号証、証人矢板秀一の証言及び原告矢板義秀本人尋問の結果によれば、原告矢板義秀は本件事故当時、原告矢板輪業有限会社の代表者として稼働し、検査主任として自動車の修理業務に従事していたものであるが、同会は実質上原告矢板義秀の同族会社であつて検査主任の資格を有するのは同原告のみであり、同原告が本件受傷により稼働し得なかつたことにより漸次営業の継続が困難となつて昭和四八年一月七日ころ解散するに至つたこと、この結果原告矢板義秀が同日以降月給金七万五、〇〇〇円の収入を失うに至つたことが認められる。

しかして、原告矢板義秀が昭和四七年一〇月ころより昭和四八年六月七日までの間入院生活を余儀なくされたことは前記認定のとおりであるから、同原告は右約六か月間合計金四五万円の収入を失つたものというべく、前記寄与率を考慮すると、同原告の逸失利益は右入院期間中の逸失利益の六割に相当する金二七万円の限度において認容すべきである。

なお、原告矢板義秀の昭和四八年六月八日以降の逸失利益についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

3  内金受領

原告矢板義秀が被告吉田友一より損害賠償の内金として合計金一五万円並びに後遺障害に対し自賠責保険より金一九万円をそれぞれ受領していることは同原告の自認するところである。

4  結論

しからば、原告矢板義秀の前記損害賠償請求権合計金一七七万円から右内金等受領金三四万円を控除するとその残額は金一四三万円となること算数上明白である。

四  原告矢板輪業有限会社の損害

成立に争いのない甲第一号証、証人矢板イエ、同矢板秀一の各証言及び原告矢板義秀本人尋問の結果によれば、原告矢板輪業有限会社は自動車の修理販売を業とする会社であるが、従業員は妻である訴外矢板イエ、長男である訴外矢板秀一のみの小規模の個人会社であつて、原告矢板義秀はその代表者であり、かつ検査主任として稼働していたものであるから、同原告は原告会社と経済的一体性があつたものと認められる。

ところで、証人矢板秀一の証言及びこれにより成立の認められる甲第一八号証ないし第八四号証によれば、原告会社は昭和四五年四月三〇日より昭和四七年一二月ころまでの間訴外小川和志外四名の人達を臨時の従業員として雇用し、原告主張のとおり合計金一八〇万円の賃金を支払つていたことが認められる。

しかしながら、本件全証拠によるも、右従業員の臨時雇入れがすべて原告矢板義秀の入・通院と不可欠の関係にあつたか否かは必ずしも明らかでない。

すなわち、前掲各証拠によれば、原告矢板義秀は本件事故による受傷後も全く稼働し得なくなつたわけではなく、入院期間中を除きその余の期間は自動車の修理業務に従事していたことが認められ、また臨時雇入れの従業員らは車両の陸送、自動車の整備、事故車の引きあげ等のほか販売セールスの業務にも従事し相当の業績を挙げていたことが認められる。

したがつて、原告会社の支出した右臨時従業員に対する賃金は、本件事故と相当因果関係のある損害として認容することはできない。

五  結論

そうすると、原告矢板義秀の本訴請求は被告吉田友一に対し金一四三万円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明白な昭和四八年一月二四日より支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において認容すべく、同原告のその余の請求並びに原告矢板輪業有限会社の請求はいずれも失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新海順次)

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